ミニマリストにあこがれて

今週のお題「住みたい場所」

住みたい場所、それはズバリ福岡県!特に天神という地域が気になっている。なぜ気になり始めたかと言うと、YouTubeを投稿しているミニマリストの方が福岡の魅力を動画内で説明していたからだ。進むキャッシュレス化により、街中でのショッピングや食事の決済は楽ちん。メルチャリやキックボードのシェアリングが進み、移動も楽になっているようだ。動画内では4畳半の物件やミニマリストが福岡に住みやすい理由が語られている。私はその動画に完全に影響されている。さらにこれは完全に私の好みなのだが、福岡にはカービィのコンセプトカフェがあるらしい。いつか住むときが来たら、ぜひ行ってみたい。

 

もっと具体的に書いてみようと思う。住みたい場所には賃貸を借りるときのような条件がある。まず私は広い空間よりも狭い空間が好きなので、部屋は狭い方がいい。そして賃貸で、いつでも移動や引っ越しができる身軽さがあるところがいい。周りには大型ショッピングモールや日常で必要になるものが買える施設があるといい。もっと欲を言えば、駅近くがいい。行動するエネルギーを小さくしておきたいからだ。

 

それからもし家を建てるなら、平屋建てにしたい。これは階段の上り下りをしたくないという理由と、一続きの部屋に統一感があって気持ちよさそうだと思うからである。いや、いっそモバイルハウスやタイニーハウスのように移動できる家を作ってしまってもいいかもしれない。

 

住む場所は自分の人格や価値観に大きく影響を与えると思う。だからいろんな土地に赴いてみたり旅してみたりしながら自分に合う土地を探したい。

モデル関係の仕事に興味があるって話。

成人式の前撮りをしてから、まだ日が浅い。私は普段、人目が気になったり気持ちが過度に落ち込んだりしがちで精神科に通院しながら服薬をしている。そんな私が着物姿を撮ってもらうという経験をした。撮影当日、薬の副作用で落ち着いて待てず、ソワソワドキドキしながら順番を待っていた。とうとう順番が来て、撮影が始まった。「真顔で」とか「笑ってみて」などの指示が入ると表情が作りやすかった。私が撮った撮影所では春夏秋冬で背景や小道具が変わっていくスタイルで、着物の姿の基本のポージングを教わりながら撮影が進んだ。はっきり言って、撮られることがとても快感で楽しかった。なかなかこんな感想を持つような人は珍しいのかもしれない。知らない人に急に笑顔を向けたりすることは容易ではないし、普通は緊張すると思う。しかし私は逆で、知らない人だからこそ「私を美しく撮ってみなさい」みたいな気取った気持ちで臨んでいた。カメラマンさんも楽しそうで、私も楽しいことを伝えると、「向いてるね」と言ってくれた。前振りが長くなったが、今やりたいことは「人間の、衣服の美しさを引き出す表現をして、その瞬間を写真に収めること」。果たして、似たような気持でいる人はこの世界にいるのだろうか。いるとしたらどこにいるのか。あまりにも狭い世界で生きている私には分からない。これから見つけていきたいと思う。

 

この記事を読んで誰が得をするのだろうとは思うけれど、正直スターは欲しいし温かいコメントも欲しい(笑)読んでくださってありがとうございます。もしよければ、どういった経路でこのブログに辿り着いたのかコメントで教えて頂けると幸いです。

ネガティブ

 大学2年はもっと毎日を楽しく過ごしていると思っていた。現実はまるで違う。大学はほぼ休学状態で毎日やることが無くて、なんだか憂鬱な気分。でもそこに安心感を持ち始めた感じが何とも気持ちが悪い。そんなことを考えていたら、ある歌詞が思い浮かんだ。このブログ内で触れるのはあまりにも繊細な話題かもしれないが、それは三浦春馬さんの「Night Diver」である。歌詞の中には『昨日も同じ事考えて結局こんな夜過ごして それでも嫌な感じじゃなくて...』(Read More at http://lyricskpop.net

という部分がある。まさにネガティブな感情にとりつかれた人間の思考を忠実に表しているように感じた。

 毎日、中途覚醒。毎日、夢を見る。薬を飲んでも一向に良くならない。果たして私のキラキラした大学生活はどこへ行った。キラキラとは言わないまでも、普通に授業を受けて、独り暮らしをして、時々友と語り合う、そこそこまともな毎日はどこへ行った。私は原因を流行しているウイルスに置かない。きっとそれが無くとも私はこうなっていたはずだ。

 そんな私は時間割を作った。今日は6時起きでブログを書くことになっていたから、今こうして書いている。こんなためにならない文章を誰が読むのだろうか。クリックしてもらえたら喜びがあるけれど、それと同時に申し訳なさが生じる。この文章を読むことに人生の時間を使ってくれたということだから。だからありがとうございます。自分も思いをちゃんと吐き出してくれてありがとう。書き足りないけれど、それでは。

外出が怖い

今週のお題「告白します」

私は外出が怖いです。どれほどかというと、外出するかどうかに3時間迷い、けっきょく玄関を出られないくらいです。その3時間、何をしているのかというと、ただじっと心の中で「外に出たい」「外に出たくない」という本音と戦っています。どちらかが上回ってくれれば決断は早いでしょう。でも、どちらも半分ずつ譲らない本音なのです。読者の方の中には「こんな暗いお題…」と思う方がいると思います。しかし今から書くことは私の中で、ブログにまで書くほどの大きな告白であると主張したいです。

 

外に出たい理由は、例えばお菓子を買いに行きたいという些細なものです。でもお菓子を買うということに、たくさんの障壁があるのです。お菓子を買うためには、まず部屋着から笑われないような外用の服に着替えなければなりません。そして実際に外に出て、人目に晒されながら道を歩かなければなりません。私はここでとても体が緊張して、歩き方がぎこちなくなっている感覚になり、余計に冷や汗が出ます。それから、人がこっちを見ているという感覚になったり、着ているものが変だと笑われているような感覚になったりします。ひどい時は背中に「バカ」などの張り紙がされているのではないか、とかズボンを履き忘れて出てきてしまったのではないかとも考えて確認してしまいます。どうやら私は恥をかくことを極端に恐れているようです。店に到着してからも障壁はたくさんあります。まず知り合いに会うかもしれないことへの恐怖と戦いながらの買い物ということです。知り合いに会うのがなぜそんなにも恐怖なのかというと、ほぼ確実に近況を聞かれたり「元気?」と聞かれたりするからです。それに上手く答えられなかったら嫌われてしまうかもしれないという恐怖がもとにあるのです。相手は話しかけてくるくらいですから、仲が良く、うまく答えられなくても別にどうってことないと思うのですが、自分の中でそれにてこずることが許せないのです。そして商品の前に行くと、何を買えばいいのか途端に分からなくなって頭がフリーズしてしまうのです。これはなぜだか分かりません。とりあえず緊張に流されながら商品をかごに入れますが、家に帰ってきたときに思い通りの買い物ができていないことが多いです。話が逸れました、かごに入れた商品をレジに持っていくのも怖いです。なぜならレジ店員が同級生や知り合いであったらまた緊張するし、買ったものを見られるのも嫌だからです。セルフレジがあるところではセルフレジを使いますが、あの機械はあの機械で、もたもたしていると「お金を投入してください」と機械音声で催促してきますし、音も大きいです。それを他の人に聞かれるのも恥ずかしいです。

 

なんだか書いていて情けなくなってきました。買い物が終わって店を出るとお腹のそこからジワっと「無事買えた」という達成感が湧きます。でも家に帰るまでは気が抜けません。家に帰ってきてから、どっと疲れて買ってきたお菓子を1日で全て食べきってしまうのもセットでこの一連の流れが大嫌いです。そんな人間がこの世界に生きているということを告白します(笑)。読んで、くだらな、と思ってくれたらそれでいいなと思います。では、また。

毒吐

お題「#この1年の変化

この1年の変化など、ない。そもそも、何年もかけて出来上がったこの自分が1年で変わってしまったら、今までの時間は何だったのだと思うだろう。ただ、1つだけ挑戦したことがあると言えば、バイトだろう。私は働くのが怖い。極度に自信がなく、怒られることや叱られることに慣れていない。だからできることなら働きたくない。そんな自分がバイトを始めた理由は「あなたに合う仕事があって」という言葉だった。当然、新しい環境はストレスになり、バイト前には必ずと言っていいほど鬱状態になっていた。初めてズル休みをしたのがこの頃だ。ストレスがかかると、甘いものを口にするようになった。最初は罪悪感が付きまとっていたが、だんだんと夜中にコンビニへ行ってスイーツやアイス、菓子パンを買うことが日課になっていった。そんなことが2~3か月続いた。毎日同じコンビニへ行くと、店員さんを覚えている。相手もきっと覚えているだろうと思いこみ、それが嫌でいろんなコンビニをはしごした。YouTubeの画面のなかには自分と似たような状況の人が何人もいて、少しばかりの希望をもらうと同時に虚しさが入り混じった。そんな状態になっても、自分が疲れていることに気付かなかった。バイトに入り続け、受けた実感のない無機質なオンライン授業を受け続けた。外出自粛に加えて、友人は地元に帰り、定期的に会う友だちもいなくなった。私は部屋の中で腐った。毎日独りで考え、独りで悩み、独りで泣いた。とうとう一日中、独り言が止まらなくなった。しかも誰かと喋っているような独り言。その頃から人の目も気になりだした。みんながこっちを見ていると確信した。そして外に出られなくなった。それでも誰にも助けを求めなかった。求める前に自分が腐ってしまって、助けを求める発想に至らなかった。話を聞いて欲しいけれど、話を聞いてくれるような友だちがどこにいるのか、探しても思い浮かばなかった。苦しかった。そんな時、YouTuberの方が「大学の学生相談室は絶対行った方がいい」と言っていた。前から気になってはいたけれど、勇気がなくて扉を叩けないでいた。ちょうど相談方法が対面ではなく電話に変更されていたため、敷居が低くなったような気がした。電話してみようと決心したが、残念なのは予約制で話したいと思ったときに話せないことである。まあ仕方ないと思いながら週1くらいのペースで電話相談した。しばらくすると相談相手のカウンセラーさんから精神科の受診を勧められた。最初は行くことを渋っていたが、次第に日常生活に支障が出ていることを自覚させられ、遂に受診へ至った。死にたい気持ちや自分なんかいない方がいいという気持ちによくなりますと伝えた。とりあえずの睡眠導入剤をもらって帰った。言い忘れていたが、この頃には悪夢を見たり、入眠が困難になったりしていた。何度か診察を受けると、「発達の凸凹が生きづらさに繋がっているかもしれない」と言われ、人格検査や知能検査を何個か受けつつ、薬の服薬をしていた。薬のおかげで、人がこっちを見ているという妄想が緩まり、以前より寝付けるようになった。甘いものを大量に食べることも少なくなっているのが現状だ。これがこの1年の変化である。何も変わっていないといえば、変わっていないし、変化しすぎと言えば、そうなのかもしれない。とりあえず今は人格検査や知能検査の結果待ちというところで、今後また自分に新たな変化が待ち受けているだろうと思う。そのたびに、こうして文字にして誰かに、自分に、伝えていこうと思う。ありがとう。それでは。

ちいさな「やりたいこと」を無視しない

『臆病者』

もう、やりたいことリストを貯めないでください。

やりたい、やりたい、で止めないでください。

やりたいことがないと不安ですか。

私はやりたいことをただただ貯めて何も行動していないあなたが、不安です。

「やりたいか、やりたくないか」ではなく、「やるかやらないか」。

やるなら今やれってことです。

 

これは、僕が自分に酔った夜に書いた詩です。(笑)

ところで、みなさんは「やりたいことリスト」を書きますか。

僕はよく紙に書き出します。

でも恥ずかしながら、実行することは少ないです。

紙をながめて、「これ全部できたら楽しいだろうな~」と思うだけです。

そんな自分を変えるためにこの記事を書いています。

 

一方で、現代は「やりたいことがないとダメ」みたいな風潮もありません?

僕は少なくとも、そんな風潮があるように感じています。

また、やりたいことがなくても別にいいと思います。

なにもしたくないと思う日があってもいいし、その日はきっと何もしたくないということをやりたい日なのだと思います。

 

ここで僕の「やりたいことリスト」を公開したいと思います。(恥ずい…)

ハンバーガーを食べ歩く

・カレーを食べ歩く

・カラオケに行って歌う

・サングラスを買う

・間接照明を部屋に置く

 

…え?しょうもないって?そうなんです。”人間の欲望なんてしょうもない”んです。

でもその”しょうもない願い”を無視し続けると、どうなるか分かりますか。

自分の中にいる小さい自分がいじけるんです。そして徐々に願いを言わなくなるんです。

 

僕自身、すきなものを他の人に馬鹿にされたり、からかわれたりしてから、すきなものを自分から遠ざけるようになりました。それを好きって言ったら嫌な気持ちになったのだから仕方ありません。それが生活に欠かせない服のテイストに関することだったり、思考法だったりすると余計自分を苦しめるような気がします。

 

「やりたいことがない」と思う人はきっと、今まで自分の中にある”しょうもない願い”を無視することが多くて、叶えるための時間が少なめだったのだと思います。例えば「お金がないから」とか「知り合いに会いたくないから」とか「キャラとは違うから」という理由をつけて。

 

確かに今の自分が好きでも嫌いでも、変わるのは人間にとって怖い事だと思います。人間にとってコンフォートゾーン(快適な範囲)から出ることは時に危険が伴うものだからです。でも毎日がつまらなく、味気なくなってから気付いたんです。「やらない理由」を考えるために、脳をクリエイティブにするのは時間がもったいない…!と。